青春18きっぷの旅〜四日目、千葉から京都へ〜
今日は、千葉から京都まで帰った。
合わせると約9時間ちょっと電車に乗っていたことになる。
いけないことはない。ただ、個人的に一日に乗ってていい感じなのは5時間くらいまでかもしれない
でも、そこにあと2、3時間足すと自宅まで帰ることができることに初めて気がついた。
ちょっと無理はあるけれど、行こうと思えば一日でそんな遠くまで行ける。
それがわかったことが、なんだか嬉しかった。
よこちんのお店、ポタスタ。
千葉→東京駅まで行き、ポタスタにてサンドイッチを購入する。
ここも今までずっと来てみたかったところだ。
横地尚子さんという方がオーナーをされている。
横地さんは以前やってた「ウーマン・オン・ザ・プラネット」という海外に行きたい女性を応援する番組で初めて知った。
ちっちゃくて、かわいくて、でもかっこよくて、行動力があって。スペインに行くという彼女が出発前に言ってた、「まだ将来についてはぼんやりしてるんですよね〜でもだからなんとなくスペインに行ってみたいです!(それを知るために、だったかも)」的なことを(間違ってたらごめんなさい)言っていたのをすごく覚えてる。
将来がぼんやりしてるってことがはっきり言える彼女がかっこいい、と思った。
モデルをしたり、演技をしたり。(今どこにいるのかよくわからない。海外かもしれない)そんな横地さんはもともとサンドイッチと野菜が大好きで。そんなところから生まれたお店。
たっぷりの無農薬、無化学肥料の野菜が入った、サンドイッチ。
とてもおいしかったです。
日本の車窓から。
電車に乗り、京都へと向かう。
昨日までは“行く”旅だったけど、今日からは“帰る”旅だ。
同じようで、ぜんぜん違う。
なにが違うんだろうと思ったけれど、たぶんドキドキ感だ。
特にまだ自分の中で未開の土地に行くときには、「これからどうなっちゃうんだろう」という少しの緊張感と、ドキドキがある。
そしていろんな感覚が研ぎ澄まされる。
それがいいんだと思う。
そして一人旅は、どこまでも一人だ。
こうしてブログを書いたり誰かに連絡したりすることはできるけれど、日常の中で身近な人と関わっているいつもの時間がない分、自分との関わりがぐっと増える。
こんなにも自分とだけしかいない。
いつもオフしているところが、オンになる感じがした。
電車に乗っていると、携帯をしている人、寝てる人、音楽を聞いている人が多い。
わたしも今まで移動中はよく音楽を聴いてきた。
でも(もしかしたら他の人はそんなことないかもしれないけど)音楽をずーっと聴いていると、途中でなぜか飽きてくる。
窓の外をぼんやりと眺めている方が、(個人的には)意外と飽きないことに気がついた。
窓の外を流れる景色は、一つとして同じものはない。
同じように見える木々でも、畑でも、川でも、ぜんぶ違うものだ。
それがすごい。
海外の方もたくさんいた。
家族と娘の彼氏?的な人たちが4人で乗り込んできた。
彼女と彼が隣同士で座る。(彼のほうがすごく日本人の顔をしていたのだけれど、言葉とか仕草を見ると、やっぱり海外の方だったように思う)時々彼が彼女の肩にキスをする。んー?と振り返る彼女。何かを話す。見つめ合う。おでこをくっつける。また話す。
周りなんかぜんぜん気にしないその二人がなんだかとてもいいなと思った。
釣り広告に、「面接の練習のために」的な言葉を見つける。
働くための面接って一体何なんだろうと思う。
練習して見せている自分は、なんの自分なんだろう。
RADWIMPSの「謎謎」が突然聴きたくなる。
以前ぐわん、と落ちてどうしようもなくなったときに、よく友だちが「だから、RADWIMPSの謎謎を聴きなさい」と言ってくれていた。
「内側からは君にだけしか見えないのに
外からは僕にしか見えないものはなーんだ
君からは決して離れようとはしないのに
僕からは平気で離れてくものはなーんだ
僕が嘘をついてもきっと分からないのに
君が嘘をつくとすぐ分かるものはなーんだ
悲しい時は無理して笑ってみせるのに
嬉しい時は涙を流すものはなーんだ」
なーんだ。
踊るシヴァ神。
またまた吊り広告で、名古屋ボストン美術館で「ハピネス」というこの美術館最後の展示会がある、ということが書かれていた。
そこに写っていた像がなんだか見たことがある像で、その下には「踊るシヴァ神」と書いてある。
調べると、ヒンズー教の神様で、三神一体の中の“破壊”を司る神様らしい。
彼の踊りは宇宙のリズムであり、統一性の想像で存在のリズムであり。世界の寿命が尽きたとき、世界を破壊し、次の世界想像に備える役割を持っておられるらしい。
破壊と創造。
今、それぞれ一人ひとりの世界の中でそれが起こっている、まさにそういうときだ。
きしめん「住みよし」のおばちゃん。
名古屋駅ホームのきしめんがやっぱり食べてみたくて、そのためだけに途中名古屋で一旦降りる。
きしめん住みよし。
在来線ホームにある、中でも一番(?)有名らしい1、2番線のお店に行く。
お店に入ると「いらっしゃ〜い」とやさしいおばちゃんの声。
ホームの人はお客さんが急いでる場合が多いから、よくもわるくもテキパキしてるイメージだったけど、ここのおばちゃんはそういう感じがまったくせず、なんだかお店の中がまろやかだった。
わたしの横にスーツの男の人が三人きしめんを食べていたけれど、まるでおばちゃんの子どもたちのようだった。
そして、お店を出るときにはそのまろやかな空気感をまとって出ていくような気がした。
ニュートラルでいることって、こういうことかと思った。
京都に近づくにつれて、田んぼが多くなる。
きれいにそろえられた田んぼに、夕方の光が走る。
まるで、遊ぶように。
川にも、木にも、街にも。
わたしにも。
金色の光は、みんなに走る。
きらきらと、わらうように。