思いを出すことと自分をアップデートすることは似ている。
部屋をまっくらにし、寝転がる。
窓の外はまだ少し明るく、ぼんやりと部屋の輪郭が見える。
そうして、自分を少しずつ空っぽにしていった。
なにかをしなきゃいけないとか、食後に寝転がるとどうだとか、そんなものを少しずつ捨てて空っぽにしていく。ちょうどスマホも低速になった。
虫の声と、空のあかり、風の心地よさ、静かな音。
たったこれだけのことがどうにもできなかったのだ。
1.仕事をやめた。
3月末で退職した。するとなんと、退職した後にも世界は続いていた。
それくらい自分の中では衝撃的だったのだけれど、この世界にきて二カ月、(世間的に)なにもしてないといえばしていないし、勉強をしているといえば毎日勉強している気もする。
やめてからすごく驚いたことがある。あまりに当たり前かもしれないけれど、世界は毎日全然違っていた。
今までは一週間、一カ月、そういう単位で日常をとらえていた。そういうもんだと思ってた。
でも一日経てば考えは変化するし、自分の身に起こることもたくさんある。なんだ。そうだったんだ。知らなかった。というか忘れていた。今日で5月が終わるけど、もう一年くらい経った気がする。
2.ドラマを楽しみにするように。
なんだか書きたいことが他にもあった気がするけれども、はてなブログのやり方に慣れないうちにうだうだしていたら新鮮味が失われてしまった。なので今思っていることを書こうと思う。
最近ドラマ「おっさんずラブ」にハマっている。この前の展開がすごすぎて、もうこんな気持ちになるんならこの二人を知るんじゃなかった、と思わず思ってしまったほどだった。ハマっている人の中にはツイッターでおっさんずラブ専用アカウントを作っていろいろ考察したり、呟いたりしている人も多数いる。
月曜日、きっと学校や会社に行って友だち、同僚とその話をしたり、「もう学校(仕事)なんかやってらんねーよ!」って思った人もきっといる。
そんなことを思った時にふと考えた。
でもそれは、自分の物語じゃない。
どんなに考えたところで、どんなに案じたところで、わたしたちはテレビの前の視聴者にすぎない。なにかを言ってあげることも、行動に移すこともできない。ただ、展開にハラハラしながら見守ることしかできない。
彼らについて考えたり、自分なりに話を考えたりすることがわるいと言いたいんじゃない。わたしだってやる。
でもそこに、ふたつ思ったことがある。
ひとつめは、それをドラマだけでなく自分の人生でしてもいいんじゃないかということ。
ドラマにあれだけ夢中になれるのは、ある意味自分じゃないからなんだろうか。安心して第三者視点から楽しめるから、なのかもしれない。
でもちょっと、もったいないような気もする。
例えば自分の人生がドラマだとしたら。途中で区切り区切り、毎週放送されているとしたら。それはそれで、きっと次週の展開がどきどきするんじゃないだろうか。
えっ、ここでこの人登場するの!?とか、めっちゃ上司に怒られてる~ここの気持ちすごく共感するわ~、とか、がんばってきた甲斐があったね…!(涙)とか、まさかの転勤!?とか。
主人公が自分でその気持ちに寄り添って丁寧に作ってあるドラマだとしたら。きっと夢中になって観れるような気がする。
それはこれからも一緒で。これから先、どうなるかぜんっせんわからない、予告さえもないドラマだけど、「来週の展開はどうなるんだろ~」って、それにどきどきハラハラしてもいいんじゃないか。
ふたつめは、それでもドラマの世界は生きているということ。
嘘かもしれない。だれかの作りものかもしれない。というか当然そうだ。そうだけど、こうして生きて、その中で出会った、ということは、それはもう生きている。
現実世界のどこか遠いところに住んでいるだれか。その人の住所を知ることができれば手紙は書けるだろう。だけど、知りえない。そうして一生出会わずに生きるお互いより、テレビだろうと漫画だろうと小説だろうと、この生きている自分の世界の中で出会ったその人たちは、よっぽどリアルに生きているとわたしは思う。
だから、どきどきするんだ。だから、気になるんだ。だから、好きなんだ。
そういうことを思いながら、おっさんずラブの最終回を迎えたい。
3.フロントガラス理論。
先日雨の日に車を運転していた。結構ざあざあ降っていて、激しく打ち付けてくる雨粒をワイパーが必死に何度も拭いてくれていた。
そのとき。一瞬だった。
あ!泥水がかかった!
体中に泥水がかかった自分の姿が脳裏に浮かび、反射で体を硬直させ目をぎゅっとつぶった。
目を開けると。
泥水をかぶった自分の姿なんかどこにもなく、ただフロントガラスに泥水がかかっており、それをワイパーが拭きとってくれたところだった。
当たり前だ。
当たり前だけれど、一瞬本気で泥水をかぶったと思ってしまった。
なんかこれって、人生と似てる気がする。
本当は何をしても安全で制限はなくて、フロントガラス的なもので守られているのに、こわい!と脳裏に映った映像を見ている。
だけどほら、目を開けると自分になんの被害もないじゃない。
そうなのかもしれない。
冒頭で、たったこれだけのことがどうにもできなかったのだ、と書いた。
だけどそれは、別に会社のせいでもなんでもなかった。
できない、と思い込んでいたんだ。自分で。
そんな自分でいていいわけない、と。
だけど、もしなんでもよかったら。だれもなにも、今の状況もお金もなんにも関係なくて、なんでもできるとしたら。
どんな歌をうたおうか?