青春18きっぷの旅〜三日目、東京、千葉〜
名古屋から東京方面に向かう。
名古屋はモーニングが有名なところらしい。ドリンク一杯の値段で普通にトーストやサラダが出てくるのが当たり前だ、という文化があることを知って驚いた。
同じ日本なのに、全然違う文化だ。
小倉バターのモーニングも食べたい。しかし名古屋駅のホームにある“きしめん 住みよし”が漫画「いつかティファニーで朝食を」にも出てきたところだ、ということに気づき、そこに決める。6時から開いてるとどこかで情報をつかんで行ってみると、7時からの営業だった。しばらく待ってようと調べものをしていると、千葉にある一番行きたいカフェが明日からは二日休みなこと、また(ランチは)15時までの営業なことがわかる。
調べると、6時45分の電車に乗って14時前に着く、とのことだった。ぎりぎり!
きしめんは諦め、電車に飛び乗る。
茶畑のための旅。
名古屋から豊橋へ。そして静岡県へ。
新幹線で通り過ぎたことはあるものの、降り立ったことはない静岡。
浜松(静岡)→熱海(静岡)までは鈍行だと2時間以上かかる、ということに気づく。
長い。
でも、2時間映画を観ているのだ、と思うことにする。
車窓から見える風景の。
そういえば、車窓から眺める景色が好きだった。
どんどん変わっていくのが面白い。
外側の世界は、自分の内面が100%表れているのだという。
そう思えば、なおおもしろい。
確かに、自然を通して心を見るのは、わかりやすいような気がする。
そういうことで言えば、たとえ隣にいる人でも、見えている景色は全然ちがうかもしれない。
ぽつり、ぽつりと茶畑が見えてくる。
青々とした緑がなんとも美しくて見とれてしまう。
ほんとうにちょっとナナメになってるとこに畑があったりするんだなぁ、と感動を覚える。
茶畑が増えてくる。そのたびに、わぁすごいすごい!!と言いたくなるが、誰も茶畑なんて見ていない。(わたしも静岡人だったらきっとそうだろう)
茶畑の美しさに、もうこの旅は茶畑を見にくるための旅だった、と言ってもいいような気がしてきた。
これは保育雑誌に載っていたのだけれど、動物園に行ったあと子どもに「どうだった?」と聞くと、「セミがいたよ!」と答えたという話。
大人はこれを聞くと、たぶんちょっとがっかりする。動物園行ったのにさー、とか、私の関わりが足りなかった…?とか。
でも、ただただその子は感動したのだ。
そこにセミがいたことに。
物事もそれでいいのかもしれない。
今この時点で「旅はどう?」と聞かれると、わたしは「茶畑が美しかった!」というだろう。
相手の期待した答えとは違うかもしれないし、会話もそれで終わりそうだ。
でもそれでいいのだと思う。なにをしたとか、なにが起こったとか、そういうことじゃないんだ。
茶畑が美しかった。空がうすい水色で、入道雲は雲に映る陰がもこもこしていて素敵で。
伝えにくいけれども、それでいいんだ、と思った。
電車の広告には、「何もない一日を、愛する。」と書いてあった。
熱海のための旅。
熱海に着く。
熱海って有名なところだよなぁ、それにしても静岡は広いなぁ、と思っていると、突然窓の外に海が広がった。
海!
どこまでもおおきい。どこまでも広い。水平線が見える。水面が、きらきら、きらきら、静かに静かに微笑んでいる。
うみ!
これが熱海の海なんだろうか。
よくわからない。
とにかくどこまでも、広い。
海でウクレレを弾くところを想像した。とてもいい、と思った。
その時に思い出したけど、そういえば車窓から海が見たかったんだ、と思った。 まさにこんな海が。
ほんとうに美しい。(写真は窓越しなので、ちょっとくすんでしまったけど)
ありがとう、と思った。
自分のための旅。
なんとか、カフェの最寄り駅に着く。東京理科大学の近くだった。
そこから約15分。
cafe oniwaは突如現れた。
なぜここに行きたかったのか。それは「古カフェ系ハルさんの休日」という全国の古民家を使った古カフェを巡る番組で、“森の精霊たち?がつくったカフェ”として紹介されていたからだ。
ほんとうに森の精霊が出てきそうなカフェ。
使われていなかった古民家をリノベーションされたらしい。
そして、地元のこだわりの野菜を使っているランチが食べられるとのこと。
今まで見たハルさんの番組の中で、一番行きたいと思っていたところだった。
でも千葉だから、行けることなんてないよなーと思ってた。
でも、きちゃった。
来れちゃった。
二階に案内してもらう。
店の中なのに、木が生えている。
まるで、森の中にいるかのようだ。
土鍋のランチセットをお願いする。
ご飯が来るまでの間、テラス席も見せてもらう。
ランチは、野菜が甘くて、やさしくて、すごくおいしかった。
五分づき米も、柔らかくて口の中でふんわりとなくなっていくのがなんともおいしかった。
わたしはとても満足していることを感じていた。
行きたいと思ってた場所に、自分がほんとうに連れてきてくれたこと。
そのことが、ただただ、心をゆっくり静かに包み込んでくれ、何もかもが溶けてほどけていくのを感じていた。
もう大満足。あとはもう帰るだけ。
今すぐ帰ったっていい。
くらいの気持ちになりながら、(途中布屋がたくさんあることで有名らしい日暮里に寄るものの、布ではなく買いたかったビーツを見つけて4つも購入しながら)宿に向かう。
一旦日暮里(東京)に戻ったため、なんで千葉に宿とってしまったんだろ〜と思っていると。
窓からみえた!!
ディズニーランドが!!!
ものすごく広い敷地にいろんなものがきらめいて。
遠くにシンデレラ城も見えた。
あ〜、これが見たかったんだ、と、車窓から眺める。
車窓からみるものが好きだ。もう熱海も、ディズニーランドも、まるで行ったかのような気分になった。
いろんなものをみせてくれて、ありがとう。
嬉しくなる道。
もう体が眠くて携帯見るのがつらいくらいなのだけれど、書いておきたいことがある。
もう、自分が自分であろうとすればするほど、お金のことがわからなくなってくる。
もちろんこの旅ができているのも、お金がいてくれるから。
お金は大切だ。
だけど、もうなんだかわからない。
たぶん、自分の価値をお金で見たり、価値にお金を乗せることはだんだん古くなっていくんだと思う。
いつ頃かはわからないけれど。
そんなことしなくても、自分が自分である限り価値は死なない。
逆に、自分が自分でないと、どれだけお金を持っていても不安に消されてしまう。
もちろんこわい。これからどうなるのかわからないし、1年後なんて想像すると10年後のような気もしてくる。
だけど、“わたし”はいう。
大丈夫だよ。心配しないで。大丈夫だから。
そうやって、笑う。
もっと攻めろ。もっと狂え。もっと自分になって。
そんなことをぶんぶん思っていて、ふと坂爪さんのブログ記事を読んで、カプセルホテルの中で声を殺して泣いた。
http://ibaya.hatenablog.com/entry/2018/08/02/100957
嬉しくなる道が正解だよ。
ほんとうにそうだ。
ほんとうに、そうだ。