恋人でもない人の頬に、キスをしたことがありますか?
北イタリアを舞台にした映画を観た。
まず概念の違いにぶっ壊された。
私たちが「こういうものだ」と“自分で”思ってる、と思っている概念は、実は日本の概念であることも多い。
国を越えるだけでぜんぜん違うものになってしまう。
挨拶でキスとか、いくら夫婦といえども子どもや人前で軽々しくキスなんてしないもんな。
てか映画内でR指定しなくていいの!?っていうシーンもたくさんあったし。直接的な描写はないけど、明らかに未成年がお酒飲んだよね、みたいなシーンもあったし。
あと映画にもよるかもだけど、「忙しいぜ!!」って感じの人がぜんぜん出てこない。
むしろ果樹園があり、戸外に食事テーブルがあり、めっちゃ毎日バカンスしてる、みんな(そう見えた)。
国を越える、それだけでこんなに違うんだ。
そしてイタリアやフランス系の映画をたくさん観たことがあるわけではないんだけれど、日本の映画と比べて“間”が独特で、言葉が少ない。
だからこそすごく自然だ。
だから、俳優さんや監督、スタッフがいて、カメラさんが撮ってて、っていう当たり前に映画が撮影されているっていうより、誰かの人生のいちシーンをそのまま流してる感じがした。
映画なのだ。
私たちだって。
彼らだって。
うまくいかないこともある。想いが伝わらなかったり、逆にめちゃくちゃ嬉しくなって幸せでたまらなくなったり、どうにもできないことで涙がつたったり。
変わらない。映画の中の彼らと。
映画の中で言っていた。
「映画は現実を写す鏡だ」と。
舞台が35年前なんだけど、まだ携帯なんてみんな持ってなくて。
それがまた美しかった。
今、わたしたちの生活から携帯がなくなったら何をするだろう。
暇なとき、どう過ごすだろう。
家族と話すだろうか。本を読むだろうか。川に泳ぎにいくだろうか。ぼんやりするだろうか。会えないあの子を想うだろうか。
これはたまに思うのだけれど、携帯がなかったら一緒にいる相手がちょっと席を立ったとき、どうするだろうか。
何を見るだろうか。
それが好きな人ならば、空いた空間をぼんやり眺めるだろうか。相手のことを考えてふっと微笑むだろうか。店先ならば窓の外を眺め、風景を楽しむだろうか。
今でも十分できるし、やっている時ももちろんあるだろう。
ただ、携帯を持っているわたしたちには誘惑が多い。
あなたたち(SNS)と、どう付き合っていきたいのか。
話しがそれた。
「痛みを葬るな。その時感じた喜びも忘れずに」
って、言ってた。
ほんとうにそうだ。
いろいろ思ったけど、想像以上にうまく言えない。
だけどわたしたちは、ほんとうにいつも、毎瞬毎瞬、懸命に生きてるなぁ、と思った。
人間ってすごい。
人を好きになるってすごい。
生きてるってすごい。
すごいんですよ。わたしたちは。
あなたは、すごいんです。
それだけです。