Grassland.

まるで踊るように。

たとえば愛が厳しさなら、やさしいとは何なのか。

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07:15 起床 ごはんを食べ、洗濯をする。

08:30 日課となりつつある筋トレとストレッチをする。カラダを鍛えている感は好きだ。今日はふくらはぎに注目した初めてのストレッチをした。

09:30 今日は絵を描く日だ、と思い入っていた予定をキャンセルしてしまう。どうせなら絵本を作りたい、と思い、調べる。絵本の真ん中になる部分に絵を描いてはいけない、サイズがいろいろある、等いろいろある。絵本の作品を募集している企画はないか、と思い調べるが2018年バージョンは終わっているところが多く、放棄する。

酵素玄米を炊き始める。

今までは絵を描くのに、人にあげるとか、なにか目的をもって描くほうが描きやすかった。だからやっぱり目標をもとう、と思い調べるがだんだんわからなくなる。
そもそも人を意識してる時点で、それって何だ?誰かの評価のために描くのか?評価されればそれでいいのか?そのためにやるのか?なぜ描きたいのか?
今社会にいない意味はそこにあるんじゃないのか。
仕事をしている場合ではないと、何をするために飛び出したんだ?
そういうときだけ、“社会で生きたかった、みんなみたいに”とえんえん言う自分が出てくる。
泣いてなよ、勝手に。

12:00 昼食をとる。かぼちゃスープが食べたいという自分のためだけに重ね煮かぼちゃスープを作ってあげる。えらい、と自分で自分を褒める。
 
14:00 酵素玄米を炊き上げ、釜に入れてから銀行に行く。なんとなく行くのが憂鬱だった用事事を銀行のお姉さんに伝えると、なんてことなく手続きを済ませてくれる。
「お待ちください」と言われて銀行の椅子にぼんやり腰掛けてニュースが流れているテレビを見るふりをする。 

そうしていると、急にやってきた。

自分が見ている世界は、自分の内側の反映だという。
ということは、世界にわたしの内側が映っているわけであり。
受付のお姉さんがなんだかとても素敵だった。
世界には自分の内側が映る。
だとしたらこの人は、もしかしたら仕事を苦と思っていない可能性があるんじゃないか、と感じた。
仕事してる私大好き♥♥みたいな。もしくは週末になって、「あーー明日から休みだー!!」ってなる瞬間が楽しみすぎて仕事楽しんでたりとか。
仕事そのものに生きがいを持ってたりとか。

なぁんだ、みんなやりたいことやって生きてんじゃん、と思った。
楽しんでるじゃんか。

そう思うと上も下もなくて、なにがいいとか、正しいとか、こうしなければならない、とかもなくて、そこにあるのはただただ自分だった。

自分の世界だった。

天啓だ、と思った。(天啓って言いたいだけかもしれません)

15:00 絵を描き始める。途中丸をたくさん描いているとだんだん眠たくなって白昼夢をみる。
白昼夢って普段見る夢よりも不思議だけど、そのぶん頭では理解できないマジなこと言ってんな、と思う。

18:00 たまたま用があって家に来てくれた友だちに今日のことを話す。友だちは「わたしは見てる世界には内面がすべて映ってると思ってるから、夫がちょっと引っかかることを呟くと、まだまだわたしの幸せ感が足りないんだな、もっと自分が幸せになっていいよってことだな、と思う」と言う。
「さすがです」と笑い合う。

そんなこんなで絵を描いた一日でした。

タイトルは「夜はやさしい」。

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夜ってやさしいと思う。なにしてても“いいよ”って言ってくれているような。朝がくるのがこわい、は聞いたことあるけど、あれはたしかに朝だった。
夜と昼間の思考はちがう。別世界にいるみたいだ。
最近はずっと“月夜のでんしんばしら”が気になっていた。
夜は、でんしんばしらが歩き出しても不思議じゃない。
ぬいぐるみだってダンスするし、月の照らす道を通って冒険にだっていける。

夜は、やさしい。

あのやさしさって、なんなんだろうか。