Grassland.

まるで踊るように。

片付け祭りは変化のはじまり。

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暑い!!夏だ!!!
記事を最後まで書きかけた。が、消えた。

家の中が暑くてまいってるのに泣ける…と思いながらまた書きます。。

片付け祭り。
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一年前、片付け祭りをした。

こんまりさんという片付けの達人がいる。
その人のやり方を実践すると二度と散らからないという、魔法のような片付け方だ。

最後までやり遂げるという覚悟を持つこと。
それさえあれば必ず終わります。

その言葉を胸に、片付けを始めた。
服、本、いろいろな小物………。
驚くことに、片付け祭りをしたあとはほんとうに部屋が荒れなくなった。
ものの位置を決めてそこに置く。
使ったらそこに戻す。

それだけのことが、わたしは十数年できなかったのだ。

それだけのことが、わからなかった。

今でもものがぱらっと散らばることはあるけれど、すぐにもとに戻すことができる。
し、片付けてほしいところがなんとなくわかるようになった。

片付けをしていくと、今まで気になっていなかったものが気になるようになった。
家族それぞれの部屋は(気になるけど)それぞれを信頼して任せるとして、部屋の次に台所を片付けた。
片付けているともうずっとそのままやり過ごしていた場所やものもあり、ぞっとした。ぞっとしながらも片付けると、きれいになった。

そして一年たった今、急におばあちゃんの部屋が気になるようになった。

おばあちゃん部屋というのは、昔おばあちゃんが使っていた増築した部屋だ。おばあちゃんがいなくなってから、客室になったり、今では使われなくなった台所が半分物置化していたりする。

わたしの部屋は二階にあるクーラーのない部屋なので、夏の昼間は特にいられない。
なのでおばあちゃんの部屋で作業することも多いのだけれど、

なんか、この部屋の気が変だ。 
滞っている。

と急に思うようになった。 

実際には以前からうすうす思っていたのだけれど、はっきりと感じてしまうと、もうその部屋に長居できなくなった。

こんまりさんは物の声が聞こえることがあるという。

これは部屋が“わたしを片付けて”と言っているんだ、と思った。
おばあちゃんに片付けてもいい?と聞くと、いいよ。わたしはもう身体がないからできなくてねぇ。ありがとう、と言われているような気がした。




余っていた防じんマスクをつけて挑む。
きたなさには無頓着なところがあるわたしだけれど、苦手なものがひとつある。
それはホコリだ。
(これは特に家で感じることだけれど、ホコリがずっと存在しているな、と思う部屋には、たとえクーラーがついていても長居できないようになった。暑いからこっちで寝ていいよ、と言われても、行けなかったりする)
ホコリの存在を感じ取るとだめなのだ。
いろいろと想像してしまう。。。

マスクをつけて、いざ!!

でも片付け祭り!と言っても、半分くらいは父が以前手を入れていたようで、わりに早く終えることができた。

見える部分が片付いて「きれいになったな」と思うのは当たり前だけれど、見えないところが片付くと部屋が軽く見えるのはなぜだろう。





片付けて思ったのは、片付けも変化だ、ということ。

変化をすると、いろいろなことが変わってしまう場合がある。
今までとても大切にしていたものが急にどうでもよくなるかもしれないし、ちがうことに目覚めるかもしれない。見ないでおこうとした新しい自分が見えそうになってしまうかもしれない。

もしかするとだから、片付けないのかもしれない。 
変化しないことは楽だ。今までと同じでいいのだから。

だけれど、わたしたちがどちらを選ぼうと、地球は変化していく。時代は流れる。

その中で、ほんとうはどうしたいのか。

片付けたいのか、片付けたくないのか。

変化したいのか、したくないのか。

新しい自分に会いたいのか、会いたくないのか。

どちらでもいい。わたしたちは、選ぶことができる。

だけどわたしは、わたしに会いたい。

あー。自分の部屋の声、もうちょっと聞いてみよー。
そしてこんまりさんの本も、もっかい読んでみよう。


あつい夏の始まりです。
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